魅惑の芸術「花の都」フィレンツェ【世界旅行記イタリア編その2】

2022年1月6日ヨーロッパ, 夫婦で, 海外2002年, イタリア, ヨーロッパ

サンタマリアデルフィオーレ大聖堂

フィレンツェは、メディチ家が金融業で成した材により芸術に投資してルネサンス文化を育てた街として高校生の頃に学んだ記憶がある。

オイラは名だたる芸術家を育てた街、ルネサンス文化を肌で感じたいと以前から思っていたが、今回、機会があって2002年7月に念願叶っていくことが出来た。

行って見るとフィレンツェは、オイラの期待を裏切らなかったばかりでなく大いに上回った。

ユネスコ世界文化遺産である芸術の都フィレンツェの旅、オイラの感想を読んで楽しんでください。

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この旅の魅力

14世紀頃より毛織業を中心とする製造業、金融業でフィレンツェ共和国は街全体が裕福になり、その結果15世紀後半にはメディチ家が中心となり芸術への資本投下してきた。

その結果、学校で学んだ盛期ルネッッサンス3大芸術家はレオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、は1500年から活躍しフィレンツェがさらに活気づいている。

フィレンツェの語源は、花に由来したイタリア語であることから、よく耳にする「フローレンス」という都市名は英語名。

ルネサンス文化が花開いたこのような夢のような時代を想像しながら観光する、他の場所では味わえない魅力があること間違いなしです。

フィレンツェの街

googleMAPで見るフィレンツェ
フィレンツェはココ ⇑

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

「花の聖母マリア」の意味を持つという名のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。15世紀半ばに建立、直径約55mの石積みドーム(クーポラ)は世界最大。

初期のルネッサンス建築を代表する建物で、フィレンツェのシンボル的存在。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の内部

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

ミケランジェロの「最後の審判」が描かれているという。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

ウフィツィ美術館

ウフィッツィ美術館

イタリア国内最大級、ヨーロッパ最古の近代式美術館。メディチ家歴代の美術品コレクションがありルネサンス芸術の宝庫。

ウフィツィとはOfficeのことであり、かつてはフィレンツェ共和国政府の政庁舎として1580年に建設。

レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリなど巨匠の作品を展示、展示品は2500点にも及ぶといい驚くほどの芸術に感動。非日常感が味わえる。

写真を見てもわかる通り、相当混雑するので時間に十分な余裕をもつことをお勧めします。

ヴェッキオ橋

ヴェッキオ橋ヴェッキオ橋

フィレンツェ最古の橋で、名もイタリア語で「古い」という意味。

第二次世界大戦に被災しなかったフィレンツェ唯一の橋。囲われている橋の上はどうなっているのか知りたく思い、オイラのように橋を渡ってみる人も多かった。

オイラが行ったときは橋の上は静かだったけど、通常はこの橋の上は宝石商とかで賑やかとのこと。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会は、1211年にドミニコ派の修道士が建設したカトリック教会。

正面は、フィレンツェで初のゴシック様式で左右対称、幾何学模様の重厚な雰囲気の建築。フィレンツェルネサンス期の重要な建築物の一つとされる。

ミケランジェロ広場

ミケランジェロ広場

ミケランジェロ広場は、フィレンツェ市民の憩いの場所で小高い丘の上にある。美しいフィレンツェの街を一望、サンタ・マリア・デル・フィオーレやヴェッキオ橋も眺めることが出来る。

サン・ミニアート・アル・モンテ教会

サン・ミニアート・アル・モンテ教会

ミケランジェロ広場の近く更に高台にある教会。こちらはミケランジェロ広場と少し違った景色が見える。

ヴェッキオ宮殿

ヴェッキオ宮殿

ヴェッキオ宮殿は、宮殿とはいえフィレンツェ共和国の政庁舎として14世紀初めに建設したため、簡素なつくりとなっている。

塔の高さは94m、現在もフィレンツェ市庁舎として使用していることから800年の長きにわたり使用されており、歴史とともに生きる欧州ならでは一面を見る。かつては、栄華を誇っていたメディチ家もピッティ宮殿に移るまで住居としていた。

「500人大広間」の壁画は、ミケランジェロとダ・ビンチが競作したエピソードで有名。

ヴェッキオ宮殿

右手前がヴェッキオ宮殿。奥がシニョ―リア広場。

シニョーリア広場

シニョーリア広場シニョーリア広場

この広場は、ヴェッキオ宮殿、ウフィッツィ美術館、など歴史的建造物に囲まれており、写真のように沢山の彫像が置かれています。

ゆっくり眺めるもよし、じっくり見るもよし、個人に応じて時間の許す限り芸術を楽しむことが出来ます。

メディチ家礼拝堂

メディチ家礼拝堂

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のような石積みドーム(クーポラ)を持つ高さ59mのメディチ家一族の墓所。

ピッティ宮殿

ピッティ宮殿

15世紀半ばに、メディチ家のライバルである銀行家ルカ・ピッティがメディチ宮より優れた宮殿を作ろうと建設に着手した。

しかし、ピッティは宮殿の完成前に死去、その際にメディチ家が買収、後に完成した。

ボーボリ庭園

ボーボリ庭園ブオンタレンティの洞窟

ピッティ宮殿の裏手にある広大な庭園。下段の写真はブオンタレンティの洞窟、ゴシック様式とは正反対の神秘的な建造物だ。

その他

サルバトーレ・フェラガモ本店

サルバトーレフェラガモ本店。

イタリアらしい坂道の路地をパシャリ。

フィレンツェ市ってこんなとこ

現在のフィレンツェ市は、フィレンツェ県の県都であり、面積102㎢、人口約38万人。

フィレンツェの名の由来は、もともとこの地域が観賞用の花の栽培名産地であったこと。

その後、フィレンツェ共和国は、15世紀ごろから交易、毛織物等製造業、金融業、で栄えメディチ家統治のもとでルネサンス文化を花開かせたことからも、「花の都」としてかつて栄華を極めた美しい街並みが、名前と一致したことでも有名となった。

1982年には「フィレンツェ歴史地区」としてユネスコ文化世界遺産に登録されている。

古くから交易で栄えていたが、中世には毛織業等製造業で栄え、15世紀半ばには金融業を発展させたメディチ家による統治、保護下でルネサンス文化が花開いた。

フィレンツェ共和国は、16世紀にはメディチ家がトスカーナ地方全域に領土を拡大して世襲制のトスカーナ大公国となり、17世紀には首都となり、1865年から1871年の6年間はイタリア王国の首都となった。

その後もトスカーナ地方の文化・商業の中心地であり続ける。1987年にユネスコ世界文化遺産に登録された。

お勧め

フィレンツェ観光は、歴史・文化・芸術・産業、どれをとっても見どころ満載である。

イタリアで思うことは、今も昔から歴史とともに文化を大切にしており、それぞれ個性ある都市を見る事ができる幸せがあります。今回のフィレンツェ観光で言えば、メディチ家の栄華を極めた時代を垣間見ることが出来たこと。

あくまでオイラの想像をいうと、この街は、地の利の良さから交易で栄え、毛織物等の製造業が繁栄、流通と協同組合を作り相互協力、金融で産業を活性化、得た利益を惜しみなく芸術に費やす、ルネサンス文化の発展、都市全体が裕福に、と表面的には理想的な好循環を作った為政者による統治の成功。

実際には、領地争いや権力争い等様々あったと思いますが、メディチ家は芸術が趣味だったかもしれませんが、外観的に自身の宮殿等権力を見せびらかすような煌びやかな建物も無く、巨大ではあるが文化のための質素な美術館や広場等の公共投資をしていたよう。

このように、あたかも自身が現実にその時代にいたかのようにタイムトリップして妄想できる楽しみがある。

経済や政治をもっと勉強しておけばよかった、と思いながらも、何も知らずとも目の前に映る全ての事象に感動するお勧めの場所。オイラは、数種のガイドブックが手放せなかった旅となった。

魅惑の芸術の「花の都」、好奇心が満たされる旅、家族で、夫婦で、友人と、一人で、旅いこか。

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