歴史煌めく街「音楽の都」ウィーン【世界旅行記 オーストリア編その2】
【世界旅行記 オーストリア編その1】から続きます。
この旅の魅力
【世界旅行記 オーストリア編その1】をご覧ください。
ウィーン観光
ヴァッハウ渓谷観光
ヴァッハウ渓谷観光は、全長2850km流れると言われるドナウ河上流沿いの景勝地を観光するものです。
有名な「美しく青きドナウ」はドナウ河を主題としてウィーンで作曲された曲が多くあります。オイラが行ったときは美しく青きドナウでは無かったですが。
ヴァッハウ渓谷周辺はハプスブルグ帝国の居城としてウィーンの中心地であったが、渓谷から見える街並みも中世以降の戦争被害がなく、300年以上も前から息づく稀有な存在であり2000年にユネスコ世界文化遺産に「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」として登録されています。
その美しい景観を見に、まずは電車でメルクへ向かう。
船着き場であるメルクに到着。
見上げるとクリーム色のメルク修道院が。メルク修道院は、ベネディクト派の修道院で世界的にも有名らしい。
また、マリーアントワネットが1770年にルイ16世のもとへ嫁ぐ際、泊った修道院として有名。
今回はこの遊覧船に乗船、終点クレムスまでは1時間40分とのことでした。
ヴァッハウ渓谷観光の始まりです。
これより先は、遊覧船からの景色、古城の写真をお楽しみください。
最初に上流に向かって右岸に見えるのはドナウ河沿いで最も美しいと言われるシェーンビュール城。
山頂にそびえるのはアックシュタイン城址。13世紀頃から存在していたという。
シュピッツの船着き場。
シュピッツ教会。
ヒンターハウス城址。13世紀頃から存在、16世紀初頭まで住人がいたという。
17世紀にバロック様式に改装されたデュルンシュタイン聖堂参事会修道院教会。後ろにそびえるのがクエリンガー城址。
ヴェートーベンの小径
ウィーン郊外にあるハイリゲンシュタット。ヴェートーベンが滞在していた時に良く散歩をしていた小径。
交響曲6番「田園」2楽章「小川のほとり」は、ヴェートーベンがこの小径を歩きながら曲の構想を練ったとのこと。
シェーンブルン宮殿
シェーンブルン宮殿は、ハプスブルグ家歴代君主が夏の離宮として使用していた。
1996年にユネスコ世界文化遺産に「シェーンブルン宮殿と庭園群」として登録されている。
この宮殿では、当時「神童」と呼ばれたモーツァルトが皇后マリアテレジアの御前演奏会に招かれた際に、7歳のマリーアントワネットにプロポーズしたという伝説がある、という。
正面からみたシェーンブルン宮殿。
シェーンブルン宮殿の庭園の丘の上の建物、グロリエッテ。戦の勝利と戦没者の慰霊のためにギリシャ建築の記念碑として1775年に建てられました。
グロリエッテからの眺めは格別です。シェーンブルン宮殿の先にはウィーンの街並みが一望できます。
整備された庭園に馬車が通りますが、自然な風景です。
ヴェルヴェデーレ宮殿
「美しい眺め」を意味するバロック等式の美しい宮殿であり、夏の離宮としてハプスブルク家に仕えていたオイゲン公が建立したもの。
1752年のオイゲン公死去後、ハプスブルク家マリア・テレジア皇后が購入した。
ウィーン国立歌劇場
「音楽の都」ウィーンに来たからにはオペラを見ないと、ということでオイラはウィーン国立音楽歌劇場でヴェルディの「オテロ(Otello)」のチケットを入手して見に行った。
ウィーン国立歌劇場は、世界で最大のレパートリーを誇る歌劇場として知られ、最も重要なオペラハウスの一つとなっています。
なお、ウィーンオペラの伝統は、ハプスブルク家君主国の首都として威信をかけて発足しており、17世紀初頭にはじまり宮廷ではオペラが上演、今なお世界をリードする歌劇場である理由はこの伝統にあります。
因みに、日本を代表する指揮者小澤征爾氏は、2002年から2010年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めています。オイラが旅行した当時は、ウィーン市内で小澤征爾氏のポスターをよく見かけました。
こぼれ話
ウィーン合唱団を見るために早朝並んでいると、後ろに一人の20代ぐらいの日本人女性が並んできました。声をかけてみると、出張でウィーンに滞在、日曜日のお休みなので見に来ました、とのこと。
お若いのに一人でウィーンに出張とはどのようなお仕事が不思議に思い聞いてみると、某世界的な外資系スイーツメーカーの日本法人で働いている研究者で、オーストリアの某果物を使って見たく生産地を訪ねに来たとのこと。
オイラは帰国して以来、ずっとその製品が日本で発売されないかと楽しみに待っている。
【世界旅行記 オーストリア編その3】に続きます。