エネルギーみなぎる街ホーチミン【世界旅行記ベトナム編その1】

2022年1月6日一人で, 東南アジア, 海外1999年, アジア, ベトナム

統一会堂(旧大統領官邸)

オイラは、ベトナムってどういう国か一度見てみたく1999年10月にベトナムのホーチミンを一人で訪ねてみた。そこには、アジアの想像を超えるエネルギッシュな街があった。

それではベトナムホーチミンの一人旅の様子を、どうぞ。

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この旅の魅力

ベトナムは、かつて192年に建国したチャンパ王国が約1300年弱港湾貿易により栄えた巨大王国であった。

しかし、近年では、フランス植民地支配からの独立運動に始まり、第二次世界大戦、インドシナ戦争、ベトナム戦争、その後にはカンボジア・ベトナム戦争に中国・ベトナム戦争(中越戦争)、と最近まで争いが絶えず戦争に翻弄された国といっていいでしょう。

しかし、オイラの感想では、ベトナム人は忍耐力とともに強い生命力を持ったエネルギッシュなDNAが備わっていることで、この苦難の状況を毎回乗り切っているのだと思う。

また、フランス文化を色濃く受け継いでおり建物や道路や食事に見る事ができる。中でもアジアの中でオイラの好きなパンは感動もの、食事も美味しかった。

このような様々な角度で各自の思いでベトナムという国を見る事ができます。

ホーチミンの旅

ホーチミンはココ⇑

市街地道中

ベトナムホーチミン市街
一面にのどかな田畑が広がり、小高い山。落ち着く風景がそこにあった。

クチトンネル

クチトンネルは、ベトナム戦争で激戦区となったホーチミン市クチを中心に、南ベトナム民族解放戦線(通称、ベトコン)がアメリカ軍に対してゲリラ戦を行う拠点として蟻の巣のように張りめぐらされた全長200km以上の地下トンネル網。

戦車等で最新兵器で進撃してくる米軍に対して、兵器の違いから対等な勝負ではとてもかなわないとして、身を潜めて小規模で数回にもわたる奇襲作戦で応戦するための地下トンネル網を敷いたベトコンの戦術だった。

クチトンネルこのように小さな穴から顔を出して攻撃或いは戦況把握をし、直ぐに隠れて逃げる態勢をとる戦法。

クチトンネルヒト一人が通れるぐらいの、写真のような狭い地下トンネルが約200km以上張り巡らされていたというから驚き。

観光客は当時、約10mは地下トンネルの中に入ることができたため、オイラも少し入ったが数mで断念。閉所恐怖症のオイラには真似できない、と思ったが戦時はそんなこと思っている場合じゃないのだろうな。

兵士のみならず一般市民もこの中に潜み生活をしていたと考えると、ぞっとする。

クチトンネルこういう場所で作戦会議でもしたのだろう。

クチトンネル
動けなくなった米軍戦車が当時のまま展示してある、生々しい。

ホーチミン作戦博物館

ベトナム戦争について詳しく知りたければ、ホーチミン作戦博物館。
ベトナム戦争の生々しさを知り衝撃を受けることとなるが、未来のためにもこの事実を知っておくことは間違いなく必要である。

ホーチミン作戦博物館戦争証跡博物館

サイゴン大教会(聖母マリア教会)

サイゴン大教会は、ベトナム最大の「カトリック教会」。
フランスの植民地時代の19世紀後半に建設、ネオゴシック様式の教会で2つの尖塔の美しい佇まいが特徴。外壁のレンガなど主要な建設資材はフランス本国から輸送したとのこと。

ベトナム人の宗教割合は、仏教(大乗仏教)が約80%だが、意外にもキリスト教(カトリック)が約10%いるという。外務省の基礎データにも載っているが、次には新興宗教のカオダイ教が多いという。

サイゴン大教会(聖母マリア教会)サイゴン大教会(聖母マリア教会)

サイゴン大教会前(聖母マリア像)
サイゴン大教会前に建つ聖母マリア像の前では、ウェディングドレスの女性が結婚写真を撮っており、ベトナムらしく後ろにはアオザイ姿の自転車に乗った女性が映っている。

サイゴン中央郵便局

オイラは、何故この郵便局が観光地人気スポットとなっているのか、と最初は疑問に思った。

実はこの郵便局はフランス植民地時代の1891年にエッフェル塔設計者の「ギュスターヴ・エッフェル」の設計により郵便・電信施設として建設され、130年弱経った今もなお現役で郵便局として稼働している貴重な建物だった。

なお、外壁の色は、建設当時は淡いピンク色だったらしいが、その後何度も塗り替えされているようで、最近では2014年に黄色(山吹色)に塗り替えられたようだが、2019年には色目を若干抑える塗装を施すらしい。

この郵便局の外壁の色の歴史を見るのも面白そうだ。

サイゴン中央郵便局
1999年のサイゴン中央郵便局

統一会堂(旧大統領官邸)

フランス植民地時代の建物で、ベトナム戦争時には南ベトナム大統領官邸として戦争を指揮する場所として使用していたが1962年に爆撃され大破、その後1966年に再建。

1975年4月には、北ベトナム軍の戦車がこのフェンスを破り突入、南ベトナムの首都サイゴンが陥落した瞬間の象徴的な場所となった。

本来、オイラが考えるに、北ベトナムとしては統一するもののかつての権威の象徴のような場所は破壊したいと考え、南ベトナムとしては悪夢を思い起こさず新しい統一を焦点にしたい為にも破壊したいと考えるものかと思うのだが、終わったことであり「ベトナム独立の歴史」の史実として残して後世に残したいというベトナムという国の考え方には感服する。

統一会堂(旧大統領官邸)統一会堂(旧大統領官邸)

永厳寺(ヴィンギエム寺)

日本に留学していた僧侶が、ベトナムに帰国して1971年に建立したという、日本と縁が深い仏教寺院。

それ故、「鐘楼」には日本語で「日本の佛子こぞりて捧げたる。平和の鐘はベトナムに鳴る」と彫られており、この鐘はベトナム語で「友好の鐘」という。
東南アジアは上座部仏教が多いにもかかわらず、ベトナムが大乗仏教であるのも永厳寺も何か関係があるのかもしれませんね。

永厳寺 - ヴィンギエム寺
永厳寺(ヴィンギエム寺)

ビンタイ市場

ビンタイ市場ビンタイ市場。時計台のあるオシャレな外観、市場の中は卸売専門で商品と人がごった返している。お客さんは皆必死で品定めと交渉をしているため、当時のカメラを見せることもできず写真が無いのが残念だが、ベトナム版ドンキといった感じで楽しい。

その他

ビンタイ市場街の様子、多くの車とバイクと人が入り乱れている。当時は信号があまりなかったため、怖々と命がけの気分で道を渡ったことを覚えている。
ただ、車もバイクも人も用心しているせいか、無秩序のように見えても不思議と事故を見る事がなかった。

たまたま見かけたアヒルの養殖場。

ベトナムってこんな国

ベトナムの正式名称は「ベトナム社会主義共和国」。国土は日本の90%弱の広さで33万㎢、人口は日本の約75%の9,500万人弱(2018年)。国土は南北1,650kmにおよぶ細長いことが特徴だが、陸地ではカンボジア、ラオス、中国、と国境を接し、海洋ではフィリピン、マレーシア、と接する。

ベトナムの歴史について詳細は割愛しますが、かつてチャンパ王国という巨大王国が繁栄したように、地理的に重要な場所であることから近代は戦争に翻弄された国といっていいでしょう。

ベトナム戦争は1975年4月にサイゴンが陥落して終結し南北が統一、翌年7月には南北統一選挙が行われベトナム社会主義共和国が誕生。しかし、その後も1978年にベトナム・カンボジア戦争、1979年には中越戦争が勃発している(現在は関係正常化している)。

また、1986年には「ドイモイ政策(刷新政策)」により市場経済の導入や海外への市場開放等で経済成長を目指す新しい国づくりが始まった。
その結果、世界の生産拠点として、有力投資先として注目を浴びている。

こぼれ話

中国ではベトナムのことを「越南」といい、これは中国「越」の南にあったから。そして、中国語の発音は「yuenan(ユエナン)」。
これを欧米人が「Vietnam」と聞き取って英字に当てたのだと、オイラは信じて疑わない。

お勧め

ダナンからホーチミンへのチャンパ王国の旅【世界旅行記ベトナム編その2】もあわせてご覧ください。

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