悠久の時の流れに触れたシーギリヤ【世界旅行記スリランカ編その2】

2022年1月6日一人で, 東南アジア, 海外1999年, アジア, スリランカ

シーギリヤロック

1999年12月、当時は仕事でY2K問題(2000年問題)対策が叫ばれる中、オイラは休息を兼ねてかねてより行きたかった「天空の王宮」へ行ってみた。

そこでは、その圧倒的な迫力と物語に思わず驚いた。

そんなシーギリヤ・ロックの魅力を紹介します。

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この旅の魅力

スリランカ中部のジャングル地帯に突如出現する高さ190mの大きな突岩※①シーギリヤ・ロック、その頂きにかつて5世紀終わりに14年かけて459年に建造した王宮跡があった。

この王宮は、当時アヌラーダプラ王朝のカッサバ王子が王である父親を殺害し王位を奪った後に建立したものである。見事なのは、計画されて作られた庭園、水路、貯蔵施設、等5世紀のものとは信じがたいもの。

その王宮が発見されたのは1875年、シーギリヤ・ロックは約1400年の眠りから覚めたのである。

カッサバ王子は当時、王である父を殺害し、シーギリヤロックを何のためにこのような場所に建造したのか、また建造後の思い、を想像して勝手に探り思いを馳せることができます。

また、5世紀に描かれたとするスリランカを代表する天女の壁画も見ることが出来ます。

※①
Q1.なぜこのような岩が出来たのでしょうか?
A1.マグマが地中に噴出する際の通り道であるマグマが、火山の浸食によって削られて硬化して塊が残ってできたもの。

シーギリヤ・ロック

googleMAPで見るシーギリヤ・ロック

シーギリヤ・ロックはココ⇑

シーギリヤ・ロックへの道中

では、シーギリヤ・ロックに行きます。

シーギリヤ・ロック

遠くに見えるのがシーギリヤ・ロック。何も知らなければ、ジャングルの中の巨大な岩としか見えません。

近くに行くとその巨大さがさらにわかります。

何故、カッサバ王子はこのような場所に王宮を作ったのでしょうか?

爪のあるライオンの前足の間の階段が入り口となっており、そこからこの岩を登ります。

かつては、巨大なライオン像で頭もあったといわれており、ライオンの喉のあたりがこの入り口にあたるという。

オイラの旅行当時もかなりの観光客で渋滞しており、結構怖かったことを覚えている。

こんな感じの断崖絶壁の壁を、絶壁に張り付くような階段や、螺旋状の階段、等を登っていきます。

建設当時の約1500年前は、岩の周りに回廊が造られていたというが、現在は崩落してその姿は無い。

シーギリヤ・ロック王宮跡

シーギリヤ・ロック王宮跡

約1時間、苦労して登った甲斐あり、頂上には王宮跡とスリランカの雄大な絶景がご褒美として待っていました。

この宮殿跡の敷地は1.6ヘクタール※②。

※②
Q1.ヘクタールってどのぐらいの広さ?
A1.10,000㎡のこと(100m×100m)

シーギリヤ・ロック王宮跡からの絶景

シーギリヤ・ロック王宮跡からの絶景

本当にすごいと思わせるのはこちら

シーギリヤ・ロック王宮跡からの絶景

はるか遠くまで一直線の道があり、王宮の庭園、水路や貯水池が整然と整備されているのがわかります。この時代にこれほどまで見事な庭園等を造る技術があることに感嘆する。

ただ、カッサバ王子は完成当時、この写真とほぼ同じ光景を見たときに、何を想い何を考えたのだろう、この一大プロジェクトを終えて満足していたのか、いろいろと考えてしまいます。

フレスコ壁画シーギリヤレディー

フレスコ壁画シーギリヤレディー

つづいて圧巻なのは、有名な壁画。

岩山の西、中腹にある洞窟内壁面に描かれている天女のフレスコ壁画※③、シーギリヤレディ―という。保存状態は極めて良く、想像以上の美しさ。

かつては500点程あったというが、現在は自然浸食により多くが消えてしまい、18点しか残っていないという。服を着ている女性が侍女、上半身が裸で宝石を身に纏っているのが貴婦人、らしいです。

今だと反対に思えますが、高貴な女性は胸を隠さなかったそうです。オイラのカメラ撮影の際のピンボケはショックだが…、今もなお鮮やかだ。(当時はフラッシュ無しでの撮影は許可されていたが、現在は撮影禁止となっているらしい)

※③
Q1.フレスコ画とは?
A1.フレスコとは新鮮(生乾き)という意味で、フレスコ画とは塗った漆喰が乾く前(生乾きの状態)に水性の絵の具で壁に絵を描くもの。やり直しがきかず漆喰が濡れているうちに書かなければいけないという高度な技術が必要だが、一度乾くと色が落ちない堅牢な画となる特徴がある。因みに、この時代、このフレスコ画で長期的に絵を残したいと思っていたのか、技術を知っていたのか、疑問ではあるが見事だ。

シーギリヤ・ロックの物語

シーギリヤ・ロックは、カッサバ王子が王である父親を殺害して王位を奪い建造した王宮。

この天空に王宮を造った理由、それはカッサバ王子は父親から王位を奪ったことで、弟のモッガラーナ王子からの復讐による奪還を恐れていた為だという。

カッサバ王子は、王位に就いた後、長らく首都であったアヌラーダプラからより安全なシーギリアに遷都、高さ約190mの岩の頂上に王宮を作り、弟からの復讐に対していつでも監視して追放できる体制を整えたと考えられてます。

カッサバ王は、14年という短い年月でこの特殊な王宮を建造する指導力がある一方、この建造の原動力は復讐に怯える弱さからだったと思われます。

そして、カッサバ王は、495年に弟モッガラーナによる襲撃に耐えかね自害します。在任期間ははわずか18年でしたが、美女シーギリヤレディーは残りました。

なんだかこの権力の象徴は、悲しくも思える話です。

お勧め

この約1500年前のカッサバ王の数奇な運命を、シーギリヤ・ロックの頂上の王宮跡で壮大な景色を見て当時の王の気持ちになり想像する、カッサバ王は、完成時に王宮から景色を見て何を思ったのだろう。

王宮完成に満足したのだろうか?休息はあったのだろうか?等、自身で体験して考えてみると様々な思いがこみ上げます。

この旅は、世界遺産シーギリヤロックに登り、それぞれ5世紀にタイムスリップして思いを馳せることができる非常に感慨深い旅になります。

いつの時代も人の気持ちは変わらない、ジャングルの中に眠っていた悠久の時の流れに触れながら、はるか1500年も前の国王の気持ちを考えてみては如何でしょうか?

シーギリヤ・ロックへ、友人と、一人で、旅いこか。

悠久の時の流れに触れて、スリランカ!【世界旅行記 スリランカ編その3】に続きます。

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