悠久の時の流れに触れたポロンナルワ【世界旅行記スリランカ編その1】
オイラは、上座部仏教発祥の地、その繁栄と聖地を見たくて1999年12月にスリランカに行ってきた。
想像を超え、思わずポロンナルワの見事な遺跡に驚いた。ここでは、ポロンナルワの魅力を紹介します。
この旅の魅力
1982年にユネスコ世界遺産に登録された魅力のある都市。
このポロンナルワは、紀元前から多くのシンハラ人が守ってきた上座部仏教※①の信仰において王朝時代の繁栄が偲ばれ、今もなお信仰され続けている美しい街※②であり、悠久の時の流れに触れることができる旅となる。
※①
Q1.上座部仏教はどのように始まったの?
A1.紀元前3世紀にインドから上座部系の一派から伝わったのが始まりとされるが、スリランカ上座部の成立年代は、考古学資料から紀元後3-4世紀と推定される、とのこと。
※②
Q1.どのように美しいの?
A1.Duran Duranが1982年リリースした英国で大ヒットしたSave A Prayerのプロモーションビデオに映っているよ。
上座部仏教信仰が今も息づくポロンナルワ
ポロンナルワはココ⇑
では、ポロンナルワの遺跡へ。
ガル・ビハーラ
(正面)
仏教の石窟寺院であるが、圧巻なのは、一枚岩を掘り起した全長約14mの涅槃像、高さ7mの立像を含め4体(立像、涅槃像、座仏像、壁龕内仏像)の仏像として有名。シンハラ王朝バラクラマバーフ王により建立。
人との対比を見るとわかるようにとにかく大きい。
いったいどのぐらいの月日がかかったのか?その信仰心の厚さに感服です。
(向かって右側、立像と涅槃像)
(向かって左側、座仏像、壁龕内仏像)
写真では見えないが、壁龕内仏像の横には何故かしらヒンドゥー教のビシュヌ神が?
ランコトゥ・ビハーラ
ポロンナルワで最も大きなストゥーパ(仏塔)であり、高さ・直径とも55m。12世紀にシンハラ王朝のニッサンカ・マーラ王が建立。名前の意味は「黄金の塔」。かつては先端が金で覆われていたという。
こちらも人との対比を見ればわかる通り、とにかく大きい。ポロンナルワ王国のかつての繁栄ぶりがわかる遺跡の一つ。
キリ・ビハーラ
高さ約24mのストゥーパ(仏塔)。12世紀にシンハラ王朝バラクラマバーフ王の妃が建立。
名前の意味は「乳の塔」。塔の壁面が乳白色であったことからその名がつけられた。
バラクラマバーフ王の宮殿跡
煉瓦造り、当時は地上7階建てであったが、現在は3階までしか残っていない。
当時、表面は漆喰で白く塗られていたという。上座部仏教としては、考えられない派手な建物であっただろうと想像し、当時の繁栄ぶりがうかがえる。
沐浴池跡
閣議室跡の下部装飾
クワドラングル(王宮)
城壁で囲まれた敷地に11の建物が建っている。
ワタダーゲ
ワタダーゲは、都がアヌラーダプラにあった7世紀に建立。内部には釈迦座像が4体、東西南北に向いて鎮座している。
「円形の遺宝の家」といわれた寺院であり、クワドラングルの中心的建物。かつては屋根があったとのこと。
ワタダーゲの下部装飾。
ムーンストーン。
アタダーゲ
12世紀にヴィジャヤバーフ王により建立、上座部仏教徒の信仰の中心である仏歯寺。
仏歯寺は名前の通り仏陀の歯を祀ったお寺(4世紀にインドから持ち込んだという)。
当時は木造2階建ての寺院であり、仏歯を含む8つの遺宝を納めていた。
仏歯寺の奥には仏様が。
54本すべての柱には彫刻が施されている。
トゥーパーラーマ
仏堂
サトゥマハル・プラサーダ
7階建ての塔。
ランカーティラカ
高さ17m、幅18m、奥行52m、の巨大な僧院。高く狭い壁に挟まれた奥には仏像がある。
シヴァデーワーラヤNo.1
13世紀に建立した石造りのシヴァ神を祀るヒンドゥー教寺院。
何故、煉瓦造りの仏教寺院が多い中にヒンドゥー教寺院があるのかは諸説あり。
王妃がヒンドゥー教であった、侵略してきたタミル人が建立、等。
奥にはヒンドゥー教シヴァ神の象徴である、リンガがある。
このような美しい光景も。
ポロンナルワとは、こんな都市
スリランカ(セイロン島)では、絶えずシンハラ族(仏教)とタミル族(ヒンドゥー教)の闘争が続いてきた歴史がある。
紀元前3世紀頃にシンハラ族が建国したシンハラ王朝が、紀元前1世紀ごろから始まるインド洋交易圏で地の利を活かし港国家として繁栄してきた。
しかし、シンハラ王朝は、南インドの王朝(タミル族)がセイロン島北部に侵略してきたため1017年に首都をアヌラーダプラからスリランカ北中部州にあるポロンナルワに遷都。
1055年にはシンハラ王朝は、ポロンナルワ王国を建国。12世紀には交易により更に繁栄、驚くほどの巨大な貯水池をつくり灌漑を充実、自給自足体制を構築、街は城壁を張りめぐらせて防備、その中は寺院等の建造物を建立して庭園都市とした。
シンハラ王朝は、ヴィジャヤバーフ王、バラクラマバーフ王、ニッサンカ・マーラ王、3代の王により歴史に名をとどめた。
しかし、南インドの王朝(タミル族)からの侵略により1255年にポロンナルワを放棄した。
お勧め
この旅は、ポロンナルワの都市のみで、上座部仏教について十分満足できる数少ない場所です。
スリランカには見どころが沢山ありますが、ポロンナルワだけでも、美しくもあり悠久の時の流れに触れることが出来る世界遺産を見学、好奇心が絶えず知識欲が満たされる旅になります。
上座部仏教発祥の地として南アジアを代表する仏教都市であり、見るべきところ満載な異国の地。ポロンナルワへ、友人と、一人で、旅いこか。
悠久の時の流れに触れて、スリランカシーギリヤ!【世界旅行記 スリランカ編その2】に続きます。